仕事と晩飯とその他

日記です。

その他大勢。

<a href="http://d.hatena.ne.jp/kenkaian/20060825">書店で『デスノート』が手に入らない理由</a>

ミリオンセラーと、その他大勢の商品が同じ土俵(書店)で戦うこと自体が間違っている気がしている。敗北主義とかではなく、別格のレベルで「売れる商品」に関心が向いている以上、充分に商品として優遇される別の市場を探すのは現実的な対応ではないか。

<a href="http://www2.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=173280&log=20060823">2006年8月23日の日記</a>でもそんなことを考えていたが、もう少し明確になりつつある気がしている。

本の形態をしているからと言って本屋で売りやすい、もしくは本屋にとって重要と認識される商材と言えるかどうかは別物なのかもしれない。

知育玩具が書店向きなのと同様、あるジャンルの本は別の場で売る方が客層やニーズにマッチするのではなかろうか。書籍という形態である以上は書店が主戦場ではあるのだが、顧客の関心は形態ではないんじゃないか。「本屋」という切り口そのものが大雑把に過ぎるのではないか。例えば最近大きな市場を形成しつつある「萌え」的な切り口についても、本はその中の一部を構成する商品群でしかない。「幼児教育」や「ビジネス」という切り口にしても、実は本以外の商材との組み合わせの方が効率が良いのではないか。いや、もっと言うなら書店に向いていると思われる「文芸」ですら映画のDVDや音楽CDとの組み合わせのほうが向いているんじゃないのか?

いわゆる「雑貨店的書店」や「個性的な店舗」や「複合店」のことを言おうとしているのではなく、もっと積極的に「顧客の関心に基づいて商材を構成していった結果として本が商材の一つとして落ち着く」のは自然な流れだと思う。でもそうなると出版社のほうも考えを変えないとダメなんだ。「ウチはベストセラーだけ売りたい」って書店があってもいいわけで(実際ランキンランキンとかはあるが)、今の「金太郎飴って批判されるけど、実際は(ベストセラー商品が)どこの店でも同じ品揃え、なんてのは絶望的に無理」という状況よりは棲み分けもしやすくなるのではないか。

今後書店は「書籍や雑誌の形態をしているからと言って無条件で扱うというわけではない」ということをはっきりと意思表示すべきだし、逆に出版社も「本なんだから本屋が売ってくれ」って考えは捨て無いとやっていけない気がする。