仕事と晩飯とその他

日記です。

何かの始まり。

安原顕氏が村上春樹氏の自筆原稿を社内から持ち出して古書店に売り払っていたらしい。Yahooニュースで知った。

業界的にはけっこう衝撃的なニュースになるのではないかと思う。生前の安原氏とは全く面識は無いが、リテレールはたまに読んでいた。本屋でアルバイトをしているころだった。面白そうな本を探すために随分参考にさせてもらった。編集者という役割についてや出版という業界についてを「スーパーエディターヤスケン」の書いた文章を読み、考えてみる機会もあった。

出版社の営業になってからは氏が書いた「業界」についての悪態には違和感を覚えるようになった。だからと言って氏の仕事の価値が減じたとは思わなかったが。

本人は既に亡くなっているので事情はわからない部分もあるとは思うが、今回の文藝春秋4月号はこの記事「生原稿流出事件 50枚 ある編集者の生と死―安原顯氏のこと」を読むためだけに買うと思う。

何か、時代の変化、のようなものを感じ始めている。それが良いものなのか悪いものなのかは全くわからないが。

「本を作る」ことに関する感覚がだんだんとインスタントなものに変化しつつある。実際、ある程度の出費を覚悟すれば書店の店頭に並ぶ新刊本と同程度の見栄えの「本」は出来上がる。だが、内容はどうか。内容についてプロとアマチュアには大きな壁があって欲しいと思ってはいるが、どうやらその感覚が崩れてきている。それはWebやネットの隆盛と無関係ではない。

いや、内容や制作だけの話ではない。

販売においても、数万売る同人誌や自費出版物があることを考えると、プロとして自分達はいったい何をやっているのか。販売が難しく思えるのは新規参入への見えない障壁が機能しているだけのことに過ぎない。ある意味、取次に守られているのだ、この業界は。

『Web進化論』(筑摩新書 梅田望夫)に書かれている変化は出版業界でも確実に始まっている。古い体質にノスタルジーを感じているからといって変化に気づかないフリをし続けるのはそろそろ限界なんじゃないかと思うのだが。

ヤスケンのニュースでそんなことを考えた。

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