仕事と晩飯とその他

日記です。

VM研の方向性

海外進出かと思ったが出資絡みだと思われるベンチャーの話が意外と面白かった。知性に対する誠実さって大事だ。金儲けやマーケティングもいいけど、教育ってのは出版における重要な志だ。そうは言っても商売としてはファンドも海外進出も気になります。でもなあ、エンターティンメントってビジネスに走りすぎると退屈になりませんかねえ。それでもいいっちゃあいいんだろうけど、なんか違和感も。あと、何で簡単に取次悪玉説かなあ。淘汰についても分からんでもない反面、取次に営業及び流通を任せられたからこその中小零細版元の成立と多様性の維持って側面もあると思う。取次に頼りすぎていたからこそ取次から突き放されると何もできなくなって右往左往している状態なんじゃないかなあ、今の出版業界って。で、極端に振れて取次否定に走ったり。でも、取次経由で物流が成立したほうがより少人数で出版社は回せる、はず。一人出版社の成立は取次の存在を前提としている。まあ、執筆も編集も制作も営業も流通も全部一人でやるのは構わないが、それって趣味でもいいんじゃないかなあ。それを生業にしようって言うんならもう少しやりようがあるんじゃないかなあ。規模の大小を問わず取次に頼り過ぎるとキツイがだからと言って取次を否定する必要もないと自分は思う。だって、うまいこと組んだらすごく良くできた仕組みですよ、これは。諸外国にはこんな便利な書籍流通の仕組みはないはず。アメリカでもイギリスでもフランスでも小さい書店は潰れ零細版元は系列化されているらしい。日本も例外ではないということだ。日本的な問題ではないということについてもう少し考えてみる必要があるように思う。

大人が若者を導く、みたいな考えが大嫌いだ。もちろん、環境をしっかりと整えることは重要だし、詰め込みだってある程度(かなり?)は必要だ。が、何をどう吸収するかは最終的には本人次第だと思う。『ホットロード』とか『頭文字D』とか『ビーバップハイスクール』などなどヤンキーや暴走族やツッパリを肯定的に描いてるこれらのマンガはそこら辺の有害図書よりよっぽどまずいと思うが、それだってそこから何を読みとるかはそれぞれの自由だ。善意に満ちた大人が考える優良図書とマーケティングだらけのエンターティンメントの退屈さを断固として拒否できる勇気を全ての大人と子供と若者に、とか本気で思うんだけどなあ、オレだけかなあ。