仕事と晩飯とその他

日記です。

書店で置き場所が分からない本 その1

地方だけでなく零細書店にデータを持っていって説明する際に大型店のデータやPubLineのデータに偏ってはダメだ。「そんなに紀伊國屋で売れてんだったら紀伊國屋で売ってもらえ」と言われるのがオチだ。持っていくお店の実情にあったデータを用意できてはじめてデータがモノを言うのであって、そうでなければ逆効果になりかねない。オンライン書店のデータも同様だ。「ならアマゾンで売ってもらえ」。そこまではっきり言う人はあまりいないとは思うが、そう思う人はいる。弊社の場合は大型店で強い商品と広い範囲で売れる商品とに明らかな傾向がある。一般的な傾向として単純化してしまうと対象となる読者がより絞り込まれている商品でかつ単価の高く束のあるものは大型店で、広い読者層を対象としかつ単価が安く判型が小さい(新書程度以下)またはムックに近い形態(B5やA4などで比較的ページ数の少ない)ものは幅広いお店で売れる、ようだ。だからそういう話をする。本当に売れる本はどこでも売れるとは思うが、規模や状況によって売れ方は違う。それを理解するだけで営業が変わる。

売れている、ことに人は目が向きがちだが、実際にどれぐらい売れているのか、その売上が商品全体の売上に対してどういう意味合いを持っているのか、そうした判断をせずにただ「売れている」「売れていない」で一喜一憂したってしょうがない。今日の一冊が明日二冊になったからと言って「倍も売れた」と喜ぶことが馬鹿げているのはすぐに分かるはずだが、オンライン書店のランキングや個店単位での売上に一喜一憂するのはそれとほとんど同じことだと言うのは分かりにくい。営業で書店を回っていると自分の回っている範囲の書店の事例で判断しがちだが、それは部分であって全体ではない。全体を見る人間は必要だ。

暴れん坊本屋さん』で『本はあおって』みたいなことが書いてあったが、読者に対してあおるのは結構だと思う。スリムどかんじゃないがあおられたがっている人がいるのかもしれない。が、本を売るという点においてパートナーであるべき本屋をあおったところで意味はない。むしろ書店から注文をとるためだけにあおることは害になると思っても良い。無意味な受注活動は返品及びそれに付随する物流コストを増やすだけだ。物流コストを意識しない営業活動は有り得ない。