仕事と晩飯とその他

日記です。

諦観

どうも話が通じていないようだ。というより、弱いところに対してしか働きかけられないようだ。いい年して、まったく。

サザンシアターよろしく。既に緊張してきた(半分ウソ)。資料というかグラフ用意せねば。

仕事では嫌なことばかりなので『電車男』を観てなごみました。こうして世の中はみんなねらーになっていくんですね。ブームは小学生まで行き着くと終わりになる、という話を聞いたことがありますが、どうでしょう。

在庫を抑えつつ増刷ですよ。増刷しないと出版社は儲からんのです。

企画出版物は企画された瞬間から著者の先生だけのものではなく関係者全ての食い扶持の源なのです。出版社だけでなく印刷会社も物流会社も倉庫も取次も書店も広告代理店もその他諸々それに少しでも関わりあう全てのヒトのものでもあります。著者の先生は印税という十分な対価を得ていますが、関係者だって働きに応じた対価は必要なんですよ。

契約書っていうのは一度発行してしまったらそうそう簡単に作り直したりはできんのです。一方的な破棄というのも、よほどの事情がないとできません。

「待望の」本なんてこの世にはあまり存在していません。ほとんどの本は刊行されたことすらあっという間に忘れ去られてしまう程度しか世の中に引っ掛かっていません。それを数万でも売ろうっていうのはけして簡単なことではありません。

オビは敗れたら捨ててください。以前の問題として、オビもカバーも過剰包装っちゃあ過剰包装なわけで、地球環境にはやさしくないよなあ。ヤレ本とかさあ、最悪だよ。王子のラインとか見て思うのは「オビが傷つかないようなラインを構築しよう」ではなく「オビをつけないとグンとトラブルが減るのに」。書店の店頭でもそう、「オビが破れないように丁寧に扱おう」ではなく「オビがなければ作業がラクになって本来の仕事である仕入や接客などに力を入れられるのに」。オビがなくても何も困らないし、それでもちゃんと売れる本をめざすべきだと本気で思う。きれいごとで済む話ではない。

なんかもう面倒だから自分で作りたくなってきたが、自分で作るなら内容に責任を持てるもの以外は作りたくない。自分自身が責任を持って校正・校閲するとかそういうことではなく、品質管理に手間とカネをかけるという意味で。やっぱ間違いの無い本は安心して売れる、と思うのだが、どうだろうか。