仕事と晩飯とその他

日記です。

大事な店。

「配本もしない、営業にも行かない、FAXも送らない。にも関わらず、売ってくれているお店がある」という話を肴に昔の上司と。配本とP-Netをぶつけるようになって見えてきたことは、すごくまめにやってくれているお店や、こちらの思い込み(売れると思っている)と売れ方のずれているお店や、そうした様々なずれであったり、こちらの思い込みであったり。「配本を絞る」と出版社も取次も簡単に言うが、それでも仕入れる店はある。逆に、配本を絞ってしまえばその新刊に一生気がつかない店もある(置けば売れるかもしれないのに)。

そういう店(つまり勝手に応援してくれている店)に対する施策(直接訪問でもFAXでも)は重要だし、そういう店にこそモノを回したい。だからこそ配本を取次任せにするわけにはいかないし、POS(実売)データも必須だ。また、委託部数が刷部数とほぼイコールであれば、そういうお店に対する出荷が追いつかない。だから、初回の刷部数にはもう少し余裕が必要なのだ。そして広告の露出度と本の露出度もある程度比例していなければいけないのだ。

などなど。

返品率を下げる、という目標と、店頭露出を確保する、という目標は相反する要素を持っている。売れる数以上に置けば返ってくるのは自明だが、置かなければ売れないのもまた真実だ。特に新聞に書評が載るような本が地域の一番店に無かったらどうするのか? 売れる売れないではなく、そういう本がこの世に存在するという証明としてであっても、そういった店にモノが無ければそれは果たしてモノとして存在するのか(現象学か?)。

地域、と気軽に言っても、読者対象が存在するであろう範囲をどの程度に定めるかで範囲は変わる。小学生が対象であれば「地域」は最小であり「一番店」は多分、近所の本屋だ。では、対象が中学生ならどうだろう。大人を対象とした本であっても、例えば音楽好きを対象とした本の「地域」をどう捉えるか、スラッシュメタルデスメタルならどうか。対象が絞られれば絞られるほど地域は拡大する。が、そもそもその「対象」とは出版社(もしくは書店)が勝手に思い描いているだけのものではないのか。

マーケティングの4Pの一つ「Place」は通常、「流通政策」及び「販売チャネル」のこととされるが、本来の意味での「Place」を考えてみる価値はありそうだ。オレが勉強不足で知らんだけで、そういう考えは当然あんだろうが。