仕事と晩飯とその他

日記です。

夏休み(2回目)

四季劇場「春」の『ライオンキング』。以前見た事を娘が「まったく覚えていない」と言うので、それなら、ということで家族揃って2回目の鑑賞。

映画の『ライオンキング』については『ジャングル大帝』の件とかでネガティブな印象を持っている方も多いと思うし、ミュージカルそのものについてとか日本語でのミュージカルについてネガティブな印象を持っている方はけっこういると思うが、オレ的にはとても楽しめた。

エンタティンメント性が高くなれば高くなるほど事前の準備(知識とか)が必要なくなる気がする。ミュージカルはある程度事前にストーリーなどを把握しておかないと分かりにくいので、その点やはり映画に比べると、という気もするが、それでも随分分かりやすくなっているのは日本語のおかげだと思う。言葉ってストーリを把握するのに意外と負荷になっているのは最近子供と日本語吹き替え版を見ていて思う。もちろん、字幕つきの映画でも「英語でストーリーが完全に分かる」のなら話は別だが、残念ながらそれは(オレにも妻にも子供にも)無理。

でも、そう考えるとやはり本って偉大だな。映画で分からなくても原作を読むとよく分かるってこと、多い気がする。でもそれも一概には言えないか。中には「小説は読みにくくてストーリーがさっぱり頭に入ってこなかったのに映画だと贅肉を切り落としたおかげで非常に分かりやすかったです」ってこともあるような。

とにかくストーリーを万人に伝え理解してもらうのは難しいってことか。

ところで『ライオンキング』は道具や衣装が掛け値なしに素晴らしい。今回も、知ってはいたが、サバンナに上る朝日に感涙しそうになった。夏休みなので子供が多かったが、ステージ上のゾウやキリン、観客席上を飛び交う鳥達などなどに子供たちは目を輝かせたに違いない(少なくともウチの子は大喜びだった)。

PCとか使ってると、質のことさえ問わなければ、何でも「個人で」「インスタントに」出来るような気がしてくることがある。が、「大勢で」「時間と手間をかけて」でないと出来ないことは間違いなく存在しているし、「一人でやってる」気になっていることの多くは「その他大勢」を巻き込んでいるはず。小説家であろうがデザイナーであろうが、作品がより多くの目に触れるための過程において多くの人が関わっている事を忘れてはいけない。

んじゃないかな、とまたエラソウに思う。