仕事と晩飯とその他

日記です。

ほぼ日というメディア その1

オトナ語の謎。』、PubLineでも上位に入っている。

多くの人が待望するような本を作ることができれば、売る方法論など問題ではないのだ。だからこそ、より多くの人に望まれる本を作るべきなのだ。

↑という理解で良いんだろうか。最近の出版物の粗製濫造っぷり及び読者のニーズとの乖離っぷりは中にいる自分が見てもひどい。刊行点数は少ないが、弊社も例外ではない。
そういった現状を踏まえなくとも、出版社は、多くの人に望まれるかどうかはともかく、読者が「読むに値する」と判断できる本を作るべきだろう。質(表紙などの見栄えという意味ではなく内容)について妥協している場合ではない。逆に言えば、本当に読者から待望されている本であれば物流に風穴を開けることも可能だろう。それが良いか悪いかは別として。事実、『ハリー・ポッター』は業界の常識を変える「買切」という手段をとることが出来た。読者の期待あってのことだ。

しかし、ほぼ日の本について言えば、自分はちょっと違和感を感じる。

ほぼ日は良い本を作ったのではなく、「ほぼ日」というメディアを最大限に活用して「ほぼ日のファン」とでも呼べる「消費者」を作り出したのではないだろうか。彼らが望んでいるものは「ほぼ日」のスピンアウトなのだ。事実、今までもさまざまなグッズを販売しているが、それは果たして商品そのものの力で売れたのだろうか。あれが「ほぼ日」ブランドでなかったら、いや、さらに言うなら糸井氏が絡んでいなかったら……。
「ほぼ日」のコンテンツはほとんどがテキストデータだ。本という商品形態は、だからこそサイトとの親和性が高いと言える。つまり、「ほぼ日」ブランドの「消費者」にしてみれば、今までのタオルや手帳や腹巻より、より購買についての壁が低いはずだ。

そして、「ほぼ日」というメディアがWeb上に存在するということを考えれば、リアルでの書店の取組よりはネット上の取組がより重要であり、極端に言えば、ネット上だけで販売までを完結できる仕組みからまず作り上げることが重要だったのだ。

朝日出版社での試みは失敗だったと判断されたのだろう。第一弾の「ほぼ日ブックス」とその後の「海馬」などを比較すると、「海馬」の展開の際には見事に朝日出版社の影が消えていることに気が付く。同時に軸足は完全にリアル書店からネット書店へと移動している。