仕事と晩飯とその他

日記です。

少しまとまりつつある気がする

本屋の村や版元ドットコムの動き(多分、自動発注やPOSデータなどもこちら側)には同意できるが、手書きPOPや文脈棚という考え方には(理解はできるが)なんとなく違うものを感じる理由が分かってきた。ような気がする。

創造的な作業を云々する前に、本屋も版元も食い扶持を稼ぐための日常的な作業を多数抱えており、そこの手間を減らすのがまず先決だろうと思うのだ。

一発逆転的なことではなく、日々の雑務から開放されたい。もしくは誰がやっても大差のない作業を自動化したい。

要はラクしたいってことのような気もするが、そのための方向性がPCなどの使用により普遍化できるもの、を指向しているようだ、オレは。

最近話題になるような手書きPOPは一枚だから手書きなわけで、同じ書籍の手書きPOPを100枚書け、と言われたらツライし、それこそカラーコピーしてくれという話になるんじゃないだろうか。さらにああいうものは出来の良し悪しが非常にはっきりと出る。本人が満足していても読者に伝わらないようなモノになってしまうぐらいなら少々つまらなくてもPOWERPOINTを使った方が読みやすいのではないだろうか。

つまり、手書きPOPは人による部分が大き過ぎるので普遍化できないのだ。棚を編集して云々というのも同様だ。

普遍的な部分の見直しを行なっていかない限り、同じ失敗を繰り返すことになるのではないだろうか。また、せっかく創造的な事を行なったところで、それを普遍化することが出来なければ、その人だけの経験・知識で終わってしまう可能性が高い。

もう少し。