仕事と晩飯とその他

日記です。

何を言っているのか分からない。

地下鉄の火事や事件ってやっぱり怖いな。サリンの時も直接巻き込まれはしなかったが電車が止まっているというアナウンスを聞いただけで不吉な感じがした。

以前の勤め先で雑誌の口座貸し(取次と直接取引していない出版社の代わりに取引を行う業務。取次との取引口座は、特に雑誌の場合、簡単に開設できないため、こういうことが発生する。書籍の場合はこの業務を専門に行っている会社(=星雲社など)もある)をしていた会社のことを急に思い出した。

展示会の会場で複数の販促チラシを配ることになった際、スピードを優先してじゃんじゃん挟み込んでいる私と私の同僚(二人とも書店出身)に対し、その社長は言葉は丁寧だったが、もうやってくれるな、という意味の事を言った。彼は挟み込んだチラシが綺麗に整っていないことに我慢ならなかったのだ。私達が挟み込んだ傍らで再度に挟み込みし直していたのだ。正直、そこまでしなくても、と思った。なぜなら、来客に手渡しで配る際には崩れてしまうし、そうでなかったとしても受け取った人のほとんどは手提げの紙袋の中にチラシを入れる。その際、崩れてしまう。販促用のチラシを綺麗に整えた状態で手渡しすることに何の意味もない。

と、その時は思った。その後もその会社とはしばらくお付き合いがあったが、特に何かが変わった記憶もない。

その後、その会社は自前で取次と取引を開始し、随分規模も大きくなっている。出版社、というよりはリクルート系の情報誌的なノリなのは社長がリクルート出身だからだろう。実はその社長のビジネスビジネスしたノリは元々あまり得意ではない。というかその社長に限らず、体育会系の「ビジネスマン」にはついていけない(体力がないので)のが正直な気持ちだ。

しかし、ふと、思ったのだ。

あの時、あの社長にとってはあの会社は自分の会社であり、私にとってはまったく他人の会社でしかなかった。それはしょうがない気もするが、私がもう少しだけ考えてみれば、あそこでチラシの挟み込み作業を手伝うこともできたはずだ。それで何がどうなるというわけでもないが、自分の気持ちとして何かが足りなかった気がする。

自分が「貧弱」であったことを思い出してしまったのだ。器の小ささ、とでも言おうか。

日常の些細なことでも、受け止め方一つで見方が大きく変わる事は多々ある。

今日は、少し落ち着いて働いてみよう。