仕事と晩飯とその他

日記です。

返品は出版社だけのリスクではない、と思う。

今年の1月は昨年の1月より返品が50%増になってしまいそうだ。

小さい会社なので取次の作業タイミングが少しずれると月の返品額が大幅に変わってしまうことは良くあることだ。くよくよしても仕方がないが、それでも滅入る。

新刊がごそっと返ってくるのもツライが、もういい加減見切りをつけたモノや絶版の商品ですら返ってくる。勘弁して欲しい。

単月で見た場合、返品が納品を上回る商品はある。昨年と一昨年の数字を整理していたら、2年連続で年次の返品数が納品数を上回っているという商品が2点あった。

もうそういう商品は書店から頼まれても出荷しない、という気にもなるが、店頭での実売はゼロではなかったりする。それどころか納品より実売のほうが多い、という場合もある。売れているところにだけ供給できていれば返品はもっと減るはずなのに、意味のない納品と返品が書店と取次と倉庫をぐるぐる巡っている。売れる店にモノが届かず、売れない店にモノを届けているのだ。どこにお客さんが存在するのか、さっぱりわかっていない。

情けなくなるぐらい大馬鹿だ。

出版社は返品になってもまた売ればいいからラクだ、と言う人がいるが、物流にも再出荷のための改装にもコストはかかる。書店は売れなくても返品すればいいからラクだ、と言う人がいるが、どうせ返品になるとわかっている商品を一応開梱し、棚に詰め、また抜き出して箱に詰める、そんな作業のコストはどう考えれば良いのだろうか。取次だって行って返ってくるだけの流通にコストをかけているという馬鹿馬鹿しさ。著者は通常刷部数の印税だから売れようが売れまいが関係ない、と言う人はいるかいないか分からないが、売れない本しか書けない著者に次の執筆の依頼はあるのだろうか。

そんな本を作り続けていたら、欲しい人に届かないようなこんな仕組みを続けていたら、読者はいなくなってしまうのではないか。

著者に全てのリスクがあり出版社と書店にはまったくリスクのない自費出版という形態が空前の利益をあげているそうだ。新しいビジネスモデルだと持ち上げる人もいる。しかし、自費出版された本は読者に受け入れられているのか。

読者の存在しない出版というのは有り得ない。内容も物流も、読者を前提として考え直している。読みたいと思う本を読みたいと思っている人に。基本のはずなのに、どうしてできないのか。不思議だ。