仕事と晩飯とその他

日記です。

スーパーエディターが

スーパーエディターこと安原顯氏が、医者から<A href=http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_top.cgi/3d35f2d5475ca0100022?aid=&tpl=dir/00/00000000_0077_0000000029.tpl>余命一ヶ月と宣告された</A>そうです。

マリ・クレールメタローグ、本に関する諸々の著作、氏の編集者・評論家としての仕事については私などが論評すべき筋ではないと思うし、一冊でも読んでいただければすぐにわかると思います。とにかく、著作については私は好きだ。全部とは言わないが結構持っている。いや、持っていた。

が、しかし、部下として、従業員として、もしくは同僚(営業を同僚と認めるかどうかははなはだ疑問だが)として一緒に仕事をしたいかと言われると、はっきりイヤだ。

一般的にわがままそうだとか頑固そうだとかそういうのもあるにはあるが、それよりも、氏が繰り返し発言していた「取次悪玉説」であったり「読者のレベル低下」であったりという、要は売れないことについて誰かを悪玉に設定していく発言がイヤだった。もちろん、言っていることは全く的外れというわけではなく、出版業界の問題点について非常に深い洞察を含んでいる場合も(たまには)あったが。

数年前の新文化(文化通信?)だったかで、「文芸書なんてのは3000部しか売れないものであり、3000部を作って売れば充分なのだ」という旨の文章を読んだ時、私の中でのヤスケンは終わった。

最終的に本にお金を払ってくれる人(既に払った人だけでなく、将来的にお金を払う可能性がある人全て)や一緒に仕事をする相手を、評論家として「酷評」し「罵倒」することで、何かが改善されましたか?

氏のように影響力のある方が出版という事業の将来を閉じてしまうような発言を繰り返すのはどうなんでしょうか。評論家としてあえてそういう発言をされているのかも、と思ったこともありますが、私には真意はわかりません。

本当はもう少し複雑な心境です。命令された仕事しかこなせない(いや、それすらこなせない)編集者が増えている中で、職人としての安原氏はやはり突出していたように思います。

残念です(本当は一緒に仕事をしてみたかったのかもしれないです。自分でもよくわからない気持ちです)。