仕事と晩飯とその他

日記です。

本は未来を開くための鍵だ。

子どもの頃、えこひいきは良くないって教わったけど、大人になって営業なんて仕事をしてると、結局、「いかにえこひいきしてもらうか」ってことが大事なのかなあと思わざるを得ないことが多々ある。

人間がやってることだから、ヒトとヒトとのつながりは大事だ。それは当然だ。「営業はモノよりヒトを売れ」みたいなことも言われる。そういう面はあると思う。熱心さがヒトを動かす、そういうこともあると思う。小さな差の中でしのぎを削っているのであればより多く顔を見せたほうが有利に決まっている、そういう風に考えてないとやってられないこともある。

でもさあ、たまにちょっと思うんだ。ボクらは何を売ろうとしてるのかってことを。いや、たまにじゃないな、最近はそんなことばっかり考えてる。

担当者にえこひいきされてなんぼだってことをよくわかって(わかってなくても)実現できる営業マンはいい営業マンだと思う。彼ら彼女らはどんな商品でもおすすめできるだろう。それこそエスキモーに冷蔵庫だって売れるかもしれない。彼ら彼女らの目指してるところは(意識しているしていないに関わらず)小売ででのえこひいきを需要の創造につなげることだ。

いや、営業としてはまったくもって正しいと思う。正攻法だ。完璧だ。

でも、とオレは思う。オレができないからそれを思うだけではない。「これは昔にも通った道じゃないのか」ってそう思うから。

もう少し売り場に余裕があった時代、担当は特定の社との癒着を避けるためにたまに入れ換えられるのが常だった。特定のジャンルの棚のエキスパートを作るのではなく「小売のジェネラリスト」を育てるためだ。もちろん、癒着による弊害を避けるという意味合いもあった。それより前の時代には癒着による弊害があったのだ。

今、エキスパートの養成が叫ばれる中で、そういった弊害は生まれていないのかってことを思う。歴史は繰り返している。

もうひとつ根本的な疑問。

営業のつながりでしか売上を維持できない程度の差しか生み出せていないのかなあということ。「いい本を作れば売れる」のかどうかって話だが、それ以前の問題として「本当にいい本が作れているのかどうか」ってこと。

前提を疑うのは難しいよ。

えこひいきされるのが得意なヒトは何でも売れる。本じゃなくっても。でも僕らは本を売ってる。

本は未来を開くための鍵だ。

そういうこともたまには考えて欲しい。