仕事と晩飯とその他

日記です。

紙の必然。

倉庫に上がってきた荷物の上には目でわかるほどのほこり、というか花粉、他。そろそろ棚の掃除もせんといかんなあと思っていたが、ハンディモップでも買って来週辺りは一通り払っておくかな。

いつものことだが、倉庫で本を扱うとこんなに汚れやすくて痛みやすい紙のパッケージで本当にいいのか、と思う。輸送も保管もメリットなどほとんどないように思う。保管について言えば「形として永く残せる」ということもあるように思うが、それもどうだろうか、それを言うならこんな美麗なパッケージは不要だ。

紙のパッケージに求められているのはいったいなんなのか、ということについて考え続けている。結論は出ないが、求められているものは中味であってパッケージではないのではないかという思いは常にある。そこから、紙の本である必然とは何かについても考える。ディジタルであることのメリットデメリットという話はどこかで誰かが考えているのだろうと思うが、紙であることのメリット、紙でなければできないこと、紙の強み、紙である必然性、これらについて改めて考えてみることは無益ではないはずだ。自社の出版物の内容を考えれば、紙で無いメリットが明確であればそれも一つの選択肢であろうと思う。実際そういう会社も既に多数存在しているわけだ(効果のほどは定かではないと自分も思ってはいるが)。にも関わらず紙を中心に据えてやってきたその必然は何か? 他のメディアについては(自社でやりたいけども)自社での開発が不可能だからだ、ということが理由なのだろうか。

そうだとすると何かが捩れている気がする。他のメディアでの必然があるのであればそれを実現する(商売として成立する)流れを作る努力があってもおかしくはないのではなかろうか。紙は安易な方法だということか。

映像などに比べると紙の本は容易に製造可能だ。だから、質が落ちて粗製濫造になるという側面は否定できない。が、容易に作れる以外のメリット・デメリットはどうか。紙だから成立する何か。

辞書は電子化が後戻りできないところにたどり着いている。教科書(特に大学のもの)や研究論文なども電子化のメリットは小さくないように思う。読みやすさという点において紙の優位性はあるが、製本されている必然性はあまりない。要は精読する際にプリントアウトするでも「紙で読む」は満たされる。

では、絶対に紙でなければならないものは何か?