仕事と晩飯とその他

日記です。

「出版営業不要論」

通常は外身ではなく中味に価格が設定される紙の束を売上に変える装置が出版社だと考えると、紙の束の中味を作る編集と紙の束を金に買える営業(流通)の機能は二つ合わせてまさに出版社そのものじゃないですか。

「日本の特殊な出版事情に対応するためのバッファとしての出版営業の存在は必要上やむをえないものではあるが……」というご意見を伺って感じる違和感は「本屋は売れなければ返品すればいいのだから何のリスクもない」というご意見に対する違和感と似ていて非なるものである。だが、こんなことを言う人は大抵同じ人だったりする。

「売るのは外部の業者に任せてしまえばいい(=だから営業は不要だ)」という考え方もあるかもしれない。一昔前の零細出版社はそんな感じ。販売業者=取次と小売業者=書店におまかせで商売が成立した時代。
「これからは紙の時代じゃない(=電子の時代に従来の出版営業は不要だ)」っていうご意見もありそうだ。確かに電子の時代になれば流通に限らず環境は大きく変わる。従来の紙ベースの製品のための製造と流通に関わる業種や職種にとっては存亡の危機だろう。出版社の営業も広告宣伝やマーケティングってことに活路を見出すしかないのかもしれない。でも、今起ころうとしている電子の時代は「編集」という中間業者すら不要と言い出しかねないラジカルさを持っているということを電子に関わっている編集者はよくわかっているはずだ。いや、よくわかってないかも。著作者と消費者の間に存在する全ての中間業者が、実は「出版営業不要論」でまな板にあげられた出版営業と同じ土俵に存在する可能性があるということに思いが至らないのであればそれは想像力の欠如というより自分の仕事に対する思いあがりでしかないのではないか。

と、こんなことをツラツラと書いていてストンと落ちたところがある。ああ、そういうことだったのか。出版営業に期待するものとは何か、ということだ。全然別の方向を見ているってことのようだ。

なるほどなあ。そりゃ深いわ、溝は。そしてわかったところでどうにもならんだろ。

なるほどねえ。