仕事と晩飯とその他

日記です。

個性と標準化

作業のための手順や書類のフォーマットが統一されることの最大のメリットは「中間過程の余計な手間を減らすことでより本来の仕事に取り組むことが可能になる」という点に尽きるのではないかと思います。

個性として主張すべき点はどこでしょうか? 本は読む(もしくは使う)ものなんだから、見た目のバーコードがどうこうとかオビがどうこうなんて本来は瑣末なことに過ぎないわけです。いや、美術工芸品に近い本があることも知ってるしそれも否定はしません。でも、手作りの詩集とか自分史とか、それは作った人にとってのファンタジーとして理解することはできてもオレにとっての現実ではない。

文字通り工場のようなラインに乗ってより早く正確に欲しい人の手元に届けるための仕組み作りが業界インフラの整備です。でも、大手だろうが中小だろうがほとんどの人は気にしちゃいない。出版社も書店も、もちろん取次ですら部署によってはまったくそんなこと考えてない。

いや、誰にも気にすらされないのはある意味においては正しいあり方でもあるわけです。誰もが出版流通の仕組みに精通している必然性は無い。むしろ誰にも知られずに正しく迅速に動き続けていることにこそ意味がある。いや、エラそうなこと言ってもオレがラインを動かしているわけではない。標準化やシステム化に協力したいとは思います。側面から援護したいとも思っているからそういうことぐらいはやらせてください。

正確で迅速な物流は出版社側の意識だけでなく書店や取次、さらには読者の意識も変えると思っています。本はオンラインでも近所の書店でも気軽に頼めるとなった時、いったい何がどう変わるのか。

いいことばかりではなく営業として勤めていく過程で疑問に思うこともあります。立派な物流を整備したところで乗せる品物がこれかよ、ということになってしまっては苦労した意味が無い。

個性を生かすための標準化・規格化でなければいけない。パラフィン紙でくるまれていた頃の岩波文庫一冊一冊の個性は何だったのか? 岩波が「権威主義的だ」というなら他の例でもいい。本の個性とは何か?

本の装丁やデザイン、広告なども、物流とまったく同様に中味の個性を際立たせるための手段であってそれ自体が主張し独り立ちするものであってはならないと私は思います。

どうでしょうか? 忘年会でそんなお話をできることを楽しみにしております。