仕事と晩飯とその他

日記です。

習って何とかなる程度のところ

バイエル下巻102番、途中で一度もつかえたり次の音を探したりしないで弾くということができない。一回でいいからと思うのだが……。103番の音をとったらそっちの方が何とかなりそうだったり。どちらにしても『楽しき農夫』はまだ遠い。

大人になってからピアノを始めた人が書いた本で「とにかく弾きたい曲一曲を弾けるように」というのがあった。気持ちはわかるが、それは「その曲が弾けるようになった」だけのことであってピアノが弾けるようになったというのとはちょっと違う気がする。自分はどの曲がというのではなくピアノという楽器を自由に弾けるようになりたいのだ。出来れば楽譜も見ないで聞いた音だけで自由に再現できるような。

でも、正直に言うと今からでは無理だと思う。何をやるにも基礎というか下地というのは必要だ。もちろん、仕事も何もかも一切やらずに毎日ピアノだけ練習したら少しは自由に弾ける状態に近付けるかもしれないが、うーん、どうだろう。それでも無理かな。やはり基礎を積み重ねるためには年齢という要素もあるような気がする。

語学も似てるかなあ。英語の歌を真似して数曲歌うぐらいのことは誰でもできると思うが、そんなことができたからといって自由に言葉が操れているわけではない。

習って何とかなる程度のところまでは努力で何とかなる、とは思うが、本当はその「習って何とかなる」ことの先にあるわけで、オレのように努力の積み重ねが苦手で「習って何とかなる」ところまで積み重ねられない人間は何やっても中途半端でしかない。スタートラインに立っていないというか。それ以前の問題として習うのが嫌いなので習って何とかなるところまでではなく一人で何とかなるって満足したところまでしかたどり着いていない。しかもその満足するところってのもやたらと低いし。

一昔前はそれでよかったんだろうと思う。本物の専門家なんて一握りだったわけで。でも、今は教育のための素材や理論も改善されたし豊かな日本では勉強したいだけできる環境も整っている。これから先は「ここまでは常識としてではその先を」ということが当たり前になってくるのかもしれない。

というか既にそうなりつつあるのはひしひしと感じている。

こんなことを思うのは久しぶりに「夏休みの直前の終業式に出忘れただけだからまだ大学を卒業できる」という夢を見たからかも知れない。なんともかんとも。