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日記です。

中高年は元々本なんか読んでいなかったのではないか?

中高年の読書離れ、と自分は随分以前から思っていたが、最近になって新聞などでそういう視点が取り上げられるようになってから今度はちょっと違うんじゃないかという気がしてきた。中高年の特に男性は元々本なんて読んでいなかったんじゃないだろうか。文芸なんかは特にそうだが、一部の愛好家を除けばいわゆる女子供のものだったわけだ。大人のオヤジが本なんか読んでる暇も金もなかった時代というのはそんなに遠い話ではないように思う。

何を言いたいかというと、戦後の出版業界は社会の成長に伴って成長を遂げたという要素もあるかも知れないが、読者の年齢層を拡大することによって成長してきたのではないか、ということだ。マンガは子供から大人へという読者層の拡大が典型的で分かりやすいが、文学なんかも「女子供」から読者層を拡大することによって成長し続けていた時期があったはず。読書に関する情報の交換というのは狭い世界の中で成立していたのではないか。読者層の拡大は社会が豊かになるという大きな理由だけでなく、出版社側の商業的な理由も大きかったとは思うが、それはある程度のところまではうまくいっていたのではないか。実際、100万部を超えるミリオンセラーは以前より出やすくなっている。小説やノンフィションだけでなく、実用書的なものでも100万部越えの可能性があるということは、つまり、「本を(習慣的かどうかは問わず)読む層」は拡大しているということなのではないのないのだろうか。

読者層の拡大を供給が追い越しているのであれば、供給(特に刊行点数)が収まれば問題は解決してしまう可能性が高い。だが、刊行点数が多いことは何も悪いことばかりではなく、出版の多様性の維持という点においてはプラスの面もある。

紙のパッケージではなくキャラクターなどをはじめとする権利ビジネスに展開を図るのもわかる気がする。キャラクタービジネスは最終的に海外に向かうはずだが、日本と言う枠組みを超えて拡大を図るのは自然な流れだろう。

ちゃんとした商品が供給されたら団塊の世代は多分猛烈な勢いで読み始めると思われる。それ以上の世代は元々本を読む習慣がない人も多いので期待しないほうが無難か。

実年齢ではなく気持ち的な年齢に訴えかけるもの。『電車男』は典型的な青春モノだったが主人公はティーンエイジャーではなかった。