仕事と晩飯とその他

日記です。

身近な例に置き換えてみる。

イラクに派遣の自衛隊、本隊が到着。

旭川の第二師団かあ。歩兵部隊って事か。千歳の第七師団だと機甲師団だからなあ。

高校生まで住んでいた札幌の実家は自衛隊(第十一師団)の駐屯地のすぐそばで、小学校低学年の頃は家の前の道路を戦車が走っているのを見たりもした。基地が開放されると必ず出かけていった。カマボコ型の映画館でトムとジェリーを見たり、なんのイベントだったか忘れたが61式戦車にも2回乗った。レーザー小銃の射的とかもやった。日中はヘリの音は当然。小学校の裏の川を挟んだ向こう側には小銃を抱えた自衛隊員が哨戒に立ち、夕方になるとラッパが聞こえてきた。クラスの半分以上の生徒の親が自衛隊員だった。オレん家は寿司屋だったので羨ましがられた。店にやってくる酔っ払いのオヤジたちの多くも自衛隊員だった。オレが家の手伝いと称して出前を持っていく先には自衛隊員の家はほとんどなかったが。仲が良かった友達のオヤジは空挺団にもいたことがあったそうで、どう見ても「強そう」だった。5人の子供と奥さんを養うために自衛隊でボイラーやら危険物やら諸々の免許を取りまくってから辞めた。中学でも自衛隊員の家庭の子供は多かった。高校出たら自衛隊に入った奴もいる。高校は北部方面総監部のそばだったが自衛隊員の家庭で育った奴は多分一人もいなかった。高校生の頃、姉が中学の頃まで通っていた養護学校のそばで装甲車が事故を起こして中の人が全滅してしまったことがある。機械に比べて人間の脆いこと。高校でも寿司屋のせがれはオレ一人だったが、高校の途中で店が潰れたんで寿司屋のせがれではなくなった。

第二師団の近所に住んでる人たちは派遣された人たちを万歳で送り出しているんだろうか。第十一師団の隊員も派遣されるらしいが、澄川のスナックで飲んだくれている隊員もいるんだろうか。

夢想してみる。

近所の寿司屋で昼から飲んでる商売下手の駄目なオヤジはオレの親父だ。基地の前を杖をつきながらのたのたと行進している障害者はオレの姉だ。しばれる朝、隊員の家を回って新聞を届けているのはオレの母親だ。自衛隊員の子供は俺のクラスメートだ。親が戦争に行くのを喜んで送り出すどころか派遣された事を喜んで吹聴するバカもいそうだが、そんなバカでも親が死んだら泣くぞ、間違いなく。

今年の雪まつり真駒内会場に甘酒を飲んでる近所の子供たちはいるんだろうか。