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日記です。

「やりたくないことはやりたくない」 藝大生について思うこと

妻も私も藝大出身だ。私は中退だが。私が美校で妻が音校。残念なことに芸学と楽理。藝大同士の組み合わせでもっともしょぼい組み合わせであろうと思われる。行ってた人間なら分かる。

藝大生がどうこうという本が売れているらしいのだが、読んでいない。読まないと思う。私はアートとはまったく無縁な生活を送っており、妻は完璧に無縁とは言えないがせいぜい「ピアノの先生」程度の関わりでしかない。私たちがこれから先キラキラすることは無い。それがわかってる以上、読んでも虚しいだけだ。

それはともかく、藝大生について自分の範囲だけの観測で思うのは、「やりたくないことをやりたくない連中が多かったな」と。美術も音楽もどちらもそんな奴らばかりであった。が、ちょっとだけ違う。美校のほうが「やりたくないこと」の範囲が少しだけ広かった気がする。要はやりたくないことが多い。音楽のほうが「やりたくないけどやりたいことのためなら頑張る」的な、最近流行りのGRIT的なものを感じさせられた。多分、ガキの頃からわけも分からず練習することが習慣になってるのが多いからだろう。そういう意味で言うと、中学生か高校生になって目覚める声楽科(ウタカ)の連中は、美術のほうの腐れアーティストっぽくてウザかった(けなしているわけではないです)。

「やりたくないことをやりたくない」のはごく自然な人間の欲求であると思うのでそれ自体はどうこう言われる筋合いのものではない。俺もできれば仕事なんかしたくない。俺に足りなかったのは「やりたくないことをやりたくない」だけでなく「やりたいことをやりたい」だろうな。俺は多分、「できることしかやりたくない」という、最もどうにもならないタイプの欲求を多く持っていたんだろう。このパターンはダメだ。なぜなら、できることしかやらないってことになるとできないことはいつまで経っても出来ないからだ。あと、「別にやりたくないけどなんとなくできる(の程度は割と低い)ことだけやっちゃう」とか、本当に駄目だと思う。なんというか、そこから先がない。

自分のことはさておき、「やりたくないことをやりたくない」が許容されるのはやはり環境もあると思う。藝大生の親の平均年収は低くないはずだ。加えて、親も「やりたくないことはやらなくていい(但し練習を除く)」という、やや自由めの方が多いと思われる。

ただなあ、ちょっと鼻につくことも多いんだよね。結果的に「やりたくないことをやりたくない」で生きていける環境を手に入れた奴の中で、それに感謝の念が足りねえっつうか、「おまえがやりたくないことをやらないでいられるのはそれを認める社会の仕組みみたいなもんがあるからだろうが」的な。やっかみだけどね。でも、教授とかでもそういう人いるのよ。なんか「幸せ」な人。そういえば学生でも「バイトはなんか違う経験できて楽しい!」みたいのがいた。うむ。

そういうのはオレには無理だなあと思っていたが、考えてみると俺もサラリーマン生活の中で「やりたくないことはやりたくない」を徐々に膨らませている。妻に至っては家事が嫌いだ。なのでほとんどやらない。

卒業後に行方不明でどうこうということだが、「やりたくないことをやりたくない」を実現できなかった連中は表に出てこないというだけの話ではないか。違うのか。

ああ、あと、「やりたくないことをやりたくない」を実現できる環境に身を置くことは案外重要で、例えば学問の世界でも同じものを感じる。単に受験勉強が得意だとかだけでなく、「勉強が面白すぎるので勉強以外はやりたくない」的な人は確かにいる。そういう人をどれだけ多く「やりたくないことはやりたくない」を許容される環境に送り込むことができるか、そのあたりが文化の下支えなんだろうなと、そんなことも思う。

読んでないけど。