仕事と晩飯とその他

日記です。

どこで誰に何をどれぐらいの数いくらでどうやって売るのか

いわゆる販売代行は書籍も雑誌もやったことある。先方にとっては条件も結果も悪くなかったとは思うけど、こっちにしてみると売れないうえに在庫も残ってしまい、結果的にはイマイチだった。ということは条件の面でもう少し考えておくべきだったという反省がある。

それに加えて、もうひとつ、販売代行には大きな反省がある。いや、反省というよりも販売代行が難しくなる原因のひとつを常に思う。

販売代行の場合はざっくりと、「手数料方式(扱い高に応じて費用を請求、売れなかった時のリスクは製作側、代行側は絶対に損しない)」、「買取方式(代行側が買切で仕入れる、売れなかった時のリスクは基本的に代行側、制作側は絶対に損しない、但し、売上について一定のラインを設定し、それを超えなかった場合のリスクを制作側に負わせるのが普通か)に分けられる。事務や経理の処理を考えると通常は後者のほうが簡単。前者の場合は(売れようが売れまいが)常に請求と事務処理が発生すると考えたほうがいい。

物が動くことに費用が発生するのは当たり前なのだが、「プラスの売上が発生する動き=納品」に対しての手数料と、「マイナスの売上が発生する動き=返品に対しての手数料」とでは受け取られ方がまったく違う。それに加えて「物が動かない時でも発生する費用=在庫コスト」についてどう捉えるか。在庫コストの場合は売れなければ売れないほど負担が膨らむわけで、そこをお互いにどう理解するかという問題がある。いや、もちろんそれも「代行側が在庫を持たない=常に仕入が発生し、常に返品も発生する」ということで解決するという手もある。

在庫負担ってけっこうかかるんだよね。売れてる時はいいんだけど、売行が落ちた時になって初めて気がつく人が多い。あと、点数が増えて初めてってこともある。点数増えると部屋の片隅に置いてられなくなるから。家賃みたいなもんだけど、家賃と違うのは、売れなきゃ売れないほど金額が膨らんでくるということ(家賃は売上と連動しない)ということと、資産に含まれてしまうので処分が難しいということか。廃棄処理とか、当初はみんな「絶対に切らない」って言うけど、点数が増えるとそうも言ってられないよね。返品になってからそのままずっと改装もされずに何年も倉庫で埃かぶってみたいな状態になっちゃうと廃棄して終わらせるしかなくなっちゃうんだよね。まあ、たまに奇跡が起こってそういうのが一気にはけちゃうことはあるんだけど。

売れてる時の負担なんてお互いに意外と気軽なんだけど、問題は売れなくなった時の費用負担で、そのあたりを事前にどうつめておくかっていうのは大事なところだ。どっちかだけが一方的に被るのはまずい。それだと結局続かない。

さて、費用負担は事前に話し合うとして、それより大事な問題がある。それは、「どこで誰に何をどれぐらいの数いくらでどうやって売るのか」について共通の理解を得られるのかどうかってことだ。

当たり前っちゃあ、当たり前なんだけど、実は同じ社内でもこれが難しい。難しいけど、編集部と営業部なら、例えお互いの意見が食い違っていたとしても話はできる、し、むしろ食い違っていることを確認するためにもああだこうだとやるべきだ。こういう話は表面上だけ和気藹々に見えてもしょうがない。

でも、販売代行だとそれがちょっと難しいよね。んー、オレの経験だけかね。なんていうか、「作りたいもの」が大前提にあって、意見を求められるのはそれに対してなんだよね。いや、それで全然悪くないし、社内で話し合うのだって同じようなもんなんだけどさ、なんかちょっと違う。そもそも、社内であれば企画の段階でボツにするなんて普通のことだけど、販売代行だとそこはスルーでもう少し先から意見の交換がって話になる気がするんだよね。その際、重要なのは、そのスルーされる段階で、要は、制作側の中で、「どこで誰に何をどれぐらいの数いくらでどうやって売るのか」についてどれぐらい考えられてるのかってことなんだけど、これが意外と難しいんだなあ。

百歩譲って、「どれぐらいの数どこでどうやって売るかが分かりゃ自分で売るよ!」ってことで、「誰に何をいくらで売るのか」、つまり読者対象と内容と価格だけはちゃんと考えようってことでもいいとは思う。思うけど、どうだろうね、それすら怪しい場合もある気がする。俺の経験だけかもしれないけど。

販売代行ってすごく具体的に言うと、ある程度原稿が進んでから「どこで誰にどうやって売ろうか」って考え始めるみたいなイメージがある。なんていうかな、モノが先行するっていうか。それはそれで当たり前っちゃあ当たり前なんだけど、やっぱり社内で企画段階でボツみたいなところは通過してないことも少なくない、ような気がするんだよね。

先日、テレビでやってたABBAのドキュメントを見た。ベニーが「悪いのが分かるってことも重要で、作った曲の95%は捨てた」みたいないこと言ってた。それ見て、オレは「悪い」が分かるのか、そして、もし分かったとして、企画者に恨まれても何でもそれを「捨てられる」のかって考えちゃったね。社内なら少しはできる。できるけど、販売代行で先方をお客様にしちゃうと俺はできないな。いや、そもそも「悪い」とか「いい」とか、そんな判断がちっともできないと思う。いや、感想程度のことは言えると思うし、他の売れてる本と比べて内容的にどうこうとか類書の販売実績がどうこうとかは言えるとは思うし、そういうのを諸々含んで「売れないと思いますよ」とは言える。言えるけど、じゃあ、なぜ売れないのかってことは言えない。根拠がちゃんと言えない。先方は売れると思って作ってるからね。そういう場合、大抵オレは説得されちゃう。「いや、売れるんだって」、「そうですか」みたいな。

自分も油断してると「いい」とか「悪い」とか気軽に言っちゃいそうだし言ってそうけど、「いい」にしても「悪い」にしても皆そんなに鋭く見極められてるのかね。オレには難しいなあ。だから、「出してみないと分からない」ってところに逃げちゃうことは少なくない。そこをもっとしっかりとやらないとイカンのだろうけど、本当に難しい。営業でも内容までって言うのはそういう話で、だからやっぱり難しい。