仕事と晩飯とその他

日記です。

選書という行為について勝手に夢想する

選書という行為は何も図書館員や書店員だけに許された行為ではなく、誰でも行える行為だ。選ばれた本について納得できるか否かについて言えばむしろ本を扱う専門家ではなく本の中に書かれた内容についての専門家による選書のほうが望ましい場合も少なくない。

アマゾンは本の「推薦」や「書評」というある種の聖域を「カスタマーレビュー」によって一般の読者に開放した(質の問題はここでは問わない)。その後、「選書」という行為についても「リストマニア」で一般の読者に開放しようと試みている。カスタマーレビューでは「本を勧めたがっているヒトは少なくない」ことが分かった。リストマニアからは「本を並べたがっているヒトも意外といるね」ということが見えてくる。

カスタマーレビューに比べてリストマニアはアマゾンとしても有効に活用できていないように思える。「このレビューが参考になった」と同様、「このリストが参考になった」といった評価システムが必要なのかも知れない。

あとは、見せ方の変化だろう。リストマニアは現状、単なるアイテムの羅列にしか見えない。例えば「読むべき順番」や「オススメ度」などによって並び替えられるとか、そういった付加機能はどうだろうか。

選書という行為が一般読者に開放され、それをてがかりに本と出会う読者が生まれだすとしたら(既にそういう読者はいそうなので、より一般化したならということにしておく)、書店や図書館に於ける選書や棚作り(並び順)はどういう影響を受けるのだろうか。

そして、アマゾンですらまだ生かしきれていないと思われる「読者による選書」という行為は図書館や書店に取り込まれるのだろうか。

紀伊國屋書店南店による「みんなで作るソーシャルデザインの本棚」という試みがあった。こういう流れが継続的なものに昇華されるのだろうか。

参加型の書店、参加型の図書館、考えるのは楽しそうだが続けるのは大変そうだ。