仕事と晩飯とその他

日記です。

『カムイ伝』とカーネギー

対立する陣営を分断するために家族を巻き込むという方法について『カムイ伝』とデール・カーネギーは似てる。『カムイ伝』の場合は分割統治の方法論に通じている。組合の幹部を取り込むために家族を懐柔するカーネギーのほうがより卑小な例に見えなくもないが、その先には組合の分断化があり、結果的に一枚岩に亀裂を入れるという考え方は共通だ。『カムイ伝』の場合はえぐいけど。

カーネギーを読んで思ったのはそこに書かれた内容がとことん強者の論理だということ。支配する側の論理と言ってもいいかも。それは支配される側にとっても読む価値がある内容だと思う。理論武装とかそういうことではない。なぜなら支配する側は理論で攻めてくるわけではないから。

例の機構に対して批判的な話を聞いて『カムイ伝』とカーネギーを思い出したが、機構にはそんな「敵対する奴らをぶっ潰すには」みたいなことを真剣に考えるヒトがいないということがわかってホッとしている。そして、(かなり大げさだが)日本に限らず他の国でも言論の自由の府たらんと自負する出版という事業に従事する方々が他者との対話に臨む姿勢について強圧的な態度と無縁であることこそ肝要なのだと改めて思う。優柔不断けっこうなのだ。自覚的であろうがなかろうが出しているものが高尚であろうがそうでなかろうが専制とは深いところで無縁である場。

まあ、本当にそんなに大げさな話ではないのだが、良心の残っている場としての「出版」という産業を支える一端を担っているのかもなと思うと日々の仕事もまた楽しい。まあ、本当にウチなんて出してるものも実用書だし末端なんだけどね。