仕事と晩飯とその他

日記です。

ふと、思った。

情報の共有化って言うけど、何でもかんでも共有しないといけないのかね。別に共有しなくても困らない情報っていうのも沢山あるし、なんていうかな、無理して共有する必要がない情報も沢山ある、んじゃないかなあ。

それと似た話で、時代が変わるって言うけど、別に無理して新しい時代に乗らなくてもいい話もあると思うんだよね。なんか変えたいヒトには変えたいなりの理由があるんじゃないかと。なんか特にコアでそれを煽ってるヒトにはやっぱり何らかの思惑もあるんじゃないかな。ま、それに煽られるのも楽しいっちゃ楽しいんだけど。でも、無理に乗っからなくてもいいんじゃないのってこともやっぱり沢山あると思う。いや、必死でそれに乗り続けるのも面白いだろうとは思うけどさ、どちらが悪いってことじゃなくてね。

変わらないものが消えていったっていいじゃねえか。「変わらないと消えますよって言ってるのにどうして皆わかってくれないの!」とか、うーん、なんだろ、別にどうでもいいんじゃねえの。ていうか、その一所懸命さにはなんか理由があんだと思う。本人も気がついていない深い理由が。ま、それこそ、どうでもいいのだが。

年とってきてコンサバになってきたってことでもないようで、正直、どっちでもいいじゃんってのは昔っからの感覚だ。多分、その辺がやる気がないように見えるところでもありつつ、なんか強制されることに対する拒否の気持ちであったりするのだろうと思う。それと「本気で一所懸命」ができない理由でもあるわけで、まあ、普通に考えるとダメなんだろうな、こういう感覚じゃ。

まあ、とにかくあれですよ、「だからキミらはダメなんだ」とか、大真面目に言われる側になって思うのは「だからなんだよ」ってことですかね。ダメでけっこう、ほっといてくれ、って皆どうして言わないんだろうと思ったけど、大人だからだね。そんなこと言わないで「ほー、今は色々すごいねえ、この世界も変わらないとダメだねえ」とか言って十年一日馬耳東風ってのが正しい大人の反応ってことか。

考えてみるとどっちもダメだ、オレ。